このことを今まで考えたことはあまりなかったのですが、日本の文化に深く根付いている印鑑について考えてもよい世情になってきましたね。
これまで日本文化の中では、何かを承認する時には印鑑を押すことでその行為を承認したことにしていました。
本当に印鑑の有効性というのがあるのか、と昔から疑問に思っていたところもあるのですが、改めて今の情勢を鑑みて印鑑というものの位置づけ・有効性を考えても良いのかと考えた今日このごろです。
会社の中でも、私生活の中でも何かを決めるときであったり契約を交わしたりする時には印鑑を押すのが日本の中では文化として根付いています。
その印鑑は簡単い作れるものだったとしてもです。もしくは作る業者によって字体が少し異なったしても、似たりよったりの字体が作られるとしてもです。
サラリーマン時代に、自分の上長が「俺の判子はここにしまってあるから何かあったら押しておいて」といっていました。
そのため、その上長がいなくても承認印が押せるのは大変ありがたかったのですが、それで本当に大丈夫なのか、、、と思ったことあります。
もちろん、シャチハタの簡易判子なので法的には何も効力は無いにせよ、社内の資料の承認をそれで済ませてしまうこと自体に何の意味がるのだろうといつも不思議に思っていました。
更に今の情勢だと判子をもらうために出社しなければならないなどの状況があるということも聞いています。
ホントにその判子必要なのですか?
最近ではクラウドサービスの発展に伴って、見積書や契約書などもクラウドでやり取り・承認できるようになっています。
それらのサービスを利用することによって判子の利用価値というのが見直されているのではないのかなと思わざるを得ません。
生活習慣や働き方も含めて今後の生活が大きく変化しようとしているご時世ではありますので、これまでの「あたりまえ」というのが通用しなくなっていることもあります。
新しい世界に向けてこれからもみんなで成長していければ嬉しいですね。
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